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2025.02.26
アイスホッケー部

【アイスホッケー部】袴田平主将卒業インタビュー

僕にしか経験できなかった4年間


春に開催された2024年秩父宮杯第71回関東大学アイスホッケー選手権大会では46年振りとなるトップ5入りを果たし、年末の第97回日本学生氷上競技選手権大会(インカレ)では2年連続のベスト8と大きく躍動した本学アイスホッケー部。そんなチームを1年間率いた主将の袴田平(スポ科4)に、今回卒業インタビューを実施した。


東謙人(以下:東)-大東文化への入学の決めては何ですか?


袴田平(以下:袴田)-色々な大学から声をかけて頂いた中で、大東が1番条件の良いオファーを出してくれました。お金の面での親の負担を減らせるという点と、下剋上をしたいという思いで入学を決めました。


-他にオファーを頂いたのはどのような大学でしたか?


袴田-関西の強豪校や、大東と同じレベルの大学からはお話しを頂いていました。同じレベルと言っても、自分が入学した時の大東はその大学には及ばなかったので、勝つことができる状態に持っていけたのは嬉しいですね。


-現在のチームはかなり強くなりましたよね?


袴田-そうですね、強くなったと言って頂ける事が多かったです。1年生の時はコロナの影響であまり試合が無かったのですが、なかなか試合に勝つことができず、2年生の時もリーグ戦でディビジョンI-A(関東大学アイスホッケーリーグ戦はディビジョンI-AからディビジョンVまで存在)に残留することはできたのですが、グループ最下位という結果でした。去年(23年度)のリーグ戦で中央大学さんに勝利できた事が1番デカかったと思います。そこから自分が求めていた下剋上ができて楽しいという思いが出てきました。


-公式戦初出場の思い出はありますか?


袴田-初めての公式戦は1年生の春の秩父宮杯で、日本体育大学さんが相手でした。今はレベルが互角になれたのですが、当時は大差で負けてしまいました。初ゴールは次の神奈川大学さんの試合でしたね。その試合は大差で勝つことができましたし、初ゴールのパックは今でも実家にあります。嬉しい思いはあったのですが、自分が求めているレベルでの勝利では無いので、もっと上で決めたいなという思いは強かったですね。1年生の時はコロナの影響でリーグ戦の入替戦は無かったのですが、強豪校が多く、本当に勝つことができるのかと思っていました。


-4年間で1番印象に残っている試合はありますか?


袴田-中央大学さんに勝てたのは自分が3年生の時でしたが、自分はあまり勝利に貢献できていなかったので、1番と言われると今年度の秩父宮杯での早稲田戦の勝利になりますね。自分たちの代で何十年ぶりに勝つことができた相手だったので、本当にテンションが上がりましたし、今でも試合後のチームの様子は覚えています。人生で1番最高の瞬間でしたね。あと今年のインカレの日体大戦も秋のリーグ戦のリベンジができた点では良かったのですが、ベストメンバーではなかったというところで、春の試合が1番の印象となりますね。


▲早稲田戦で勝利に大きく貢献した袴田


-インカレでのベスト8は大きかったですね


袴田-チームにとって大きかったですね。自分が3年生の時が11年振りのベスト8だったので、2年連続のベスト8となるとかなり久々の記録のはずですね。


-逆に大変だったことはありますか?


袴田-やっぱり今年のリーグ戦のセカンドリーグになりますね。あれは二度と味わいたくないですね。元々サマーカップが終わったあと、もしかしたらフルメンバーで戦えなくなるかもという情報は聞いていたのですが、実際に伝えられたのがファーストリーグ最終戦の早稲田戦の2日前だったので、覚悟はしていました。ただ、想像以上にキツかったですね。練習の効率も落ちてしまいますし、レパートリーも少なくなってしまうので、あの時の練習は充実しているとは言えませんでしたね。特にゴールキーパーの天日君は1人でやらないといけなくなったので、色々なプレッシャーがあったと思います。その分みんなが体を張って守っていてくれた部分は、チームとしては良かったなと思います。


-話は変わりますが、主将にはどのような流れで決まりましたか?


袴田-本来であれば4年生がオルタネイトキャプテン(副主将)に就任するのが主流だったのですが、スタッフと4年生の話し合いで決まらなかったので、投票の結果、3年生の自分がオルタネイトに選ばれました。その時から、翌年の主将になるという雰囲気になっていましたね。ただ、去年のキャプテンから「お前がオルタネイトをやってくれ」と言われていたので気持ちの面でも準備はしていました。


-主将として一番大切にしていた部分はどこですか?


袴田-世間のキャプテンというのは「背中で引っ張るキャプテン」や「言葉で引っ張るキャプテン」が主なイメージだとは思うのですが、自分は両方のタイプになりたいと思っていました。ミーティングやプレー中でも言葉で引っ張りますし、プライベートと部活のオン、オフをはっきりさせて背中でも引っ張りましたね。チーム全体でオン、オフのメリハリをはっきりさせようと思ってはいたのですが、何十人も動かすというのは難しいので、まずは自分がという意識でやっていましたね。あとは主将になってから一人一人としっかりコミュニケーションを取りましたね。調子が悪いというのはすぐ分かるので、話しかけに行くのは徹底していました。


-主将をやってどのような事を学びましたか?


袴田-自分は言語化が苦手なタイプなのですが、強い組織はどうあるべきかということを学びました。1年生の時の普通の部員とチームのトップである主将どちらも経験したので、自分にしかできない4年間というのを色々なポジションで学んでいきましたね。


-大東に入ったからこそ成長できた部分はありますか?


袴田-いやもう全部ですね。他の大学に行っていれば、また違う悔しさや、嬉しさから学ぶものはあったとは思います。ただ、どこの大学に行っても一生懸命やれば得られるものや課題、後悔が出てくるとは思いますが、大東でなければこんなイレギュラーなシーズンを主将で送るという経験はできなかった、と良い意味で捉えることもできるので、入学してよかったと思います。

 環境面でも本当にいいと思っています。他大学さんは東京に寮がある大学が多く、2、3個のリンクで10何校の大学が練習をするのですが、僕らは埼玉県の上尾にあるリンクで練習をしていて、同じレベルの大学は上尾に練習をしに来ないので、固定した枠で練習ができますね。東京のリンクは夏はやってない場所が多いのですが、埼玉のリンクは夏もやってる場所が多いので、他の大学さんが夏に氷上練習ができない中で、リンクを使えるというのはかなりいい環境だと思います。更に上尾のリンクは氷の質も良く、KHL(コンチネンタル・ホッケー・リーグ: ロシア・ベラルーシ・カザフスタン・中国で構成されているプロアイスホッケーリーグであり、世界で2番目にレベルの高いアイスホッケーリーグと考えられている)でプレーしている埼玉出身の佐藤優くんや、日本代表でやっている選手がたまに練習に参加してくださる事もあるので、凄く刺激を貰えます。

 学校生活に関しても教職課程を履修していたのですが、教育に関しての学びを部活に活かすことができたので、取っといて良かったなと思いますね。


-インカレ後に参加した国体はいかがでしたか?


袴田-自分は愛知県で出て、順位が7位と入賞することはできました。中学校のクラブチームで一緒にやっていた同期と同じチームで戦えるというのは本当に面白かったです。初戦が和歌山県だったのですが、延長戦でギリギリ勝利という展開だったので、どこのチームが勝つか分からないという楽しさがありますね。


-今後の目標はありますか?


袴田-引き続きアイスホッケーをやろうと思っていて、地元にプロのチームができたので、そこでプレーをします。最初は大学でアイスホッケーを辞めようと思っていたのですが、最後が不完全燃焼でまだやりたいという思いと、アイスホッケーが無い生活というのが考えられなかったですね。楽しくなくなるまでホッケーをやろうとも思っていて、楽しい時に辞めてしまうとホッケーも可哀想だなと思うんです。

 日本アイスホッケー連盟から発表がされたのですが、アジアリーグと社会人リーグのレベル差が激しすぎるということで、新しいプロリーグが作られる構想があるらしく、そこのレベルに参加する事になると思います。ただ、まだマイナースポーツで愛知でも浸透はしてないですし、都市部で発展させていく方が盛り上がると思うので、レベルというよりはホッケーを広めて盛り上げていきたいという思いがあります。


-最後に、後輩に向けてのメッセージをお願いします


袴田-応援してます、という一言ですね。他大学さんと違って僕らは卒業する人数も少ないですし、新入生も10人ぐらい入部してくれるらしいので本当に嬉しいです。春と冬で目標であるベスト4を達成して、リーグ戦でディビジョンI-Aに戻って欲しいですね。自分は後輩たちが一生懸命やれば1年でディビジョンI-Aに戻ることはできると思いますし、戻る為にどのような取り組み方で行けばいいか、というマニュアルみたいな物は今年の1年間で伝えられたと思います。アドバイスを求められたらしっかりアドバイスをしますし、楽しんで全力でやって欲しいですね。


▲早稲田戦での勝利に歓喜の輪を作る選手たち


【東謙人】